うたわれるもの長編SS
「絆」 
 
第二話「賽は投げられた」
 
 
「それでは、今日の授業はこれで終わりです」
エルルゥのその言葉を聞いて、机に座って作業をしていた生徒たちにざわめきが戻る。ある者は薬皿を棚に戻し、ある者は近くの者と仲良さげに談笑している。座りっぱなしで固まった身体を伸ばして、その場に寝そべる者もいる。
「エルルゥせんせー! さよーなら」
「エルルゥ様、ありがとうございました」
「明日もよろしくおねがいします」
しばらくそれぞれの時間を過ごした人々は、三々五々自分たちの荷物を持って帰宅していく。辺りに漂う薬草の香りが、人々の動きによって室内から吐き出されていく。
エルルゥが生徒達の使った机を丁寧にふきあげ、新鮮な空気を求めて戸口から姿を現した。
柔らかな長髪を後ろで一括りにし、残った一部を特徴的な髪留めで留めている。昔から変わらない彼女のトレードマークだ。しかしその顔は以前のような少女っぽさが抜け、大人の女性へと成長している。彼女が纏う雰囲気がそう感じさせているのかもしれない。
 
ここはトゥスクル城前庭の一角にある、薬師修練所。この修練所は、先の戦乱が終結し国の内政が整いつつあったトゥスクル国皇・ハクオロが始めた、今までにない試みである。
きっかけはハクオロの提案だった。
「ベナウィ、少しいいか? 相談があるのだが……」
「聖上? ええ、かまいません。珍しいですね、聖上から私に話しかけるなんて」
ベナウィは少し怪訝そうな顔で答えた。彼はこの時密かに「またいつもの休憩の要求か?」、と思っていたのだが、その内容は彼が考えているものとは違っていた。
「実は城の中に薬師の修練所を作りたいんだ」
「修練所……ですか?」
「ああ。今までは戦争になると、兵士達の妻や城下の女達が兵士達の怪我の手当てをしていた。しかし彼らにはエルルゥのような専門的な知識がないから、どうしてもエルルゥ一人に負担が集中してしまう。これではもしエルルゥが倒れたりしたら、大変だ。なにせ、薬の調合ができる者がいなくなるのだからな」
「なるほど。確かにそれは言えますね。しかし聖上、あまりこういうことは言いたくありませんが、現状で戦時看護が必要になるほどの戦が起こることはあまりないのでは?」
「ベナウィの言うことにも一理ある。ただ、戦の時以外でも薬師の存在は国には不可欠だろう? 各集落からの要請にも薬師の派遣を要請する声は多い。近くの集落ならウォプタルを飛ばせばすぐだが、遠隔地ではそうもいかないだろ?」
「なるほど……それは見落としていました」
ベナウィは素直に感心した。同時に、自らの短慮を恥じた。自分は民からの要望書をハクオロと共に審議・否可決を担っているが、それは誰にでもできうることである。むしろ最も大切なのは、要望書が送られてくる前に何が民にとって必要であるかを考え、こちらから動き出すことである。極論すれば、要望書など必要ないのだ。
(敵わないな。このお方には……)
そう呟くベナウィだった。
 
「エルルゥ様、今日もありがとうございました」
エルルゥの後ろから長身の女性が話しかけた。彼女の名はトルテ。この修練所の出身で、現在はエルルゥの助手をしている。
「あ、トルテさん。もう、その呼び方は止めてくださいよ。トルテさんのほうが年上なのに……」
「ふふっ、そうかい? じゃあお言葉に甘えて」
そう言って陽気に笑った。トルテはこの修練所が始まったときの生徒で、その時からの知り合いである。年は彼女のほうが二つ上だが、同年代で気兼ねなく話しかけてくれる彼女をエルルゥは気に入っている。今では、まるで親友のような間柄である。
「それより聞いてよエルルゥ、あの人ったらひどいのよ。毎日毎日訓練ばっかりで、ちっともあたしの相手をしてくれやしない! おまけに帰ってきたら酒ばーっかり。今夜はとっちめてやらないと!」
「私の方も一緒ですよ。毎日政務とか言って……。トルテさん、ハクオロさんも一緒にやっちゃってくださいよ」
「まかせときな! 男なんてのはねぇ……。って、エルルゥ。さすがのあたしもハクオロ様はヤバイでしょうに。そうだ、明日の朝どうせ二日酔いの薬出せって言うんだから、エルルゥ直伝の『アレ』を出してやろうかね」
「そんなトルテさん、直伝って……」
優秀な読者諸君は気づいたかもしれないが、トルテの言う『アレ』とは、某ヘタレ若様を撃沈した『アレ』である。本当は普通の薬もあるのだが、トゥスクルの女達が時折男共を反省させるために用いる秘薬として、今では城下に知れ渡っている。
「それにしても、クロウさん、そんなにひどいんですか? なんかむしろ愛妻家って感じがしますけど」
「そりゃあ、いつもってのは言い過ぎかもしんないけどさ、酒ばっかりってのは本当よ! たまにはどこかに連れて行ってくれたって、罰は当たらないとおもうけどねぇ……」
 
「へぇっっきし!」
「隊長、どうされました?」
「先生風邪か?」
訓練中にいきなり盛大なくしゃみをみまったクロウは、自らの鼻をこすりながら不思議そうな顔をしている。
「いや、なんでもねぇ。誰かが噂でもしてんのか……?」
「全くしっかりしてくれよ先生! 危ないじゃん」
「悪ぃ悪ぃ。そんじゃ、次いくぜ、ハヤテ!」
「はい!」
 
エルルゥとトルテが井戸端会議に華を咲かせていると、横合いからカルラが歩いてきた。
すんなりとした体型なのに、見事なプロポーションを持つ女性である。いつも飄々とした態度を崩さず、猫のような尻尾をゆらゆらさせている。しかし一度戦場に出れば、男五人でようやく持ち上げることができるほど重い剣を振るって戦う、ギリヤギナの戦士へと変貌する。手には大きな徳利。いつものスタイルである。
「あら、エルルゥにトルテさん。授業は終わりましたの?」
「ええ。……カルラさんはまたお酒ですか?」
「あんたも好きだねぇ……」
二人が真剣に呆れているにもかかわらず、カルラはその表情を崩さない。コロコロと可笑しそうに笑う。
「私にとって、お酒はなによりですもの。こればっかりはやめられませんわ」
「そんなこと言ってると、あんたにも『アレ』をお見舞いしちゃうよ」
「まぁ大変! それじゃあ今日はやめておきますわ」
トルテが冗談めかして言うと、カルラが肩をすくめてたじろいだ。三人はお互いの顔を見やると、途端にふきだして笑いあうのだった。
 
 
深い森と険しい山に三方を囲まれた場所に、その城は建っている。ここは地図上でトゥスクルから遥か東方の位置にある山岳地帯。常に陽光が降り注ぎ、作物の豊富なトゥスクルに比べ自然環境は劣悪を極めている。
今城の中心の玉座の前に四人の男達が立っている。一人の痩身の男が言った。
「遅い……。フォルセナの野郎は何をしてやがるんだ! 俺たちをわざわざ呼びつけておいて、手前だけ遅れてくるとは無礼な野郎だ!」
「……ドルミネ、少し黙れ。国大将に対していささか無礼が過ぎる……」
「五月蝿ぇ! 俺に指図するんじゃねぇよ!」
ドルミネと呼ばれた男は自分が叱責されたことを感じるや、すぐに怒りの矛先を注意した男に向ける。
「だいたい俺は初めて会った時から手前のツラが気に入らなかったんだ! スカしたツラしやがって、俺の事を馬鹿にしてんだろ!」
ドルミネが今にも掴みかからんばかりの勢いで男に詰め寄る。するといきなり、ドルミネはその頭を掴まれた。背後には、およそ常人とはかけ離れた体躯を持つ男が立っている。男はドルミネを自分の顔の高さまで持ち上げて言った。
「ウハイの言うとおりだ。少し黙れ……。皇も呆れている」
「っチクショォ、離しやがれ……! っグゥ!! っ手前、グナガルド!」
ドルミネがそう言うや、グナガルドが手を離す。彼はドルミネを放り捨てると、残った三人と共に玉座に向かってひれ伏した。ドルミネは悔しげな目でグナガルドを一瞥すると、自分もそれに従う。
グナガルドが言った通り、玉座の奥から二人の男が出てきた。後から出てきた男が玉座に着き、もう一人がその横に侍した。侍している男は前に伏す四人を見やると、静かに口を開いた。
「ドルミネ、御前でこのような愚行、許されることではないぞ?」
男の口調は決して強くはない。ただ、抑揚のない声とその冷たい雰囲気が言葉以上の重圧感を男に与えているのかもしれない。
「フォルセナ、それくらいにしておけ。あまりドルミネを苛めるな」
「新皇。しかし……」
フォルセナに睨まれたドルミネはただ震えているだけだ。
「ふふ、俺はそれくらい元気があるほうが好きさ。まぁ、仲間内で争うのは関心できんがな。ドルミネもういいぞ」
皇にそう言われたドルミネは、さっきまでの態度が嘘のように態度を崩しさもすまなそうにフォルセナに頭下げた。
「さて、遊びはこれくらいでいいだろう。ところでお前達、準備はできているな?」
彼がそう言ってそれぞれの顔を見ると、どの顔も不敵に笑っている。その表情を肯定と受け取ったのか、フォルセナが一巻きの書簡を懐から取り出した。
「では、ウハイ。これを」
「了解した」
しばらくその書簡を見ていたウハイは、やがて短く答えると一人踵を返して御前を離れた。
「皇。あれは?」
それまで一言も喋らなかった男が、ウハイの後姿を見ながら尋ねた。顔をフードで隠し、その身は黒い外套で覆っている。
「始まりの合図だ。そう、始まりのな……」
皇の顔に何か特別なものを汲み取った四人は誰もそれ以上の追及をしなかった。というより、できなかったというほうが正しいか……。
 
 
二人と別れたエルルゥは、夕餉の準備をするために調理場に向かっていた。以前は彼女一人で用意していたのだが、最近はトウカやトルテ、そして娘のコノハが手伝ってくれている。とはいえ、所帯の増えた現在の食卓ではその負担はあまり変わっていない。本当は自分の家族だけで食卓を囲みたいエルルゥであったが、トウカや他のメンバーに押し切られてしまったのだ。
エルルゥが調理場に入ると、そこにはなぜかハクオロが座っていた。手に書簡を持っているところを見ると、政務でもやっているのだろうか? エルルゥの存在に気づいたのか、彼が書簡を閉じた。
「やぁエルルゥ」
「やぁって、ハクオロさん、どうしてこんなところに?」
「いや、その最近エルルゥとゆっくり話せなかったからな。ここで待っていたんだ。ここなら必ず会えると思って」
ハクオロはそう言うと、ちょっと恥ずかしそうに頬を掻いた。仮面を着けていた昔とは違い、今は直接頬に指を当てる。
ハクオロの言葉を受けて、彼に駆け寄ろうとしたエルルゥはその場で一旦止まり、周囲を警戒する。「よかった、誰もいない」と、彼女の顔に書いてある。
「ハクオロ……」
彼女は急いで彼の胸に飛び込む。まるで一分一秒を争うかのように……
彼女がハクオロを呼びすてにし始めたのは以前にはなかったことである。こうして二人きり、若しくは娘達といる時にはこう呼んでいる。正式に室に入った彼女の「けじめ」なのだろう。
ただ彼女が彼をこう呼べる機会はあまりない。それは彼が皇という立場であるからに他ならない。正室のユズハが亡くなり、形式の上では子のいるエルルゥは第一側室となったわけではあるが、だからといって彼を独占できるわけではないのだ。同じく子を持つトウカもいるし、他にも彼と一緒にいることを望む者は大勢いる。
だからエルルゥは、こういった機会を大事にしたいのだ。それも、ハクオロのほうから望んで来てくれたことに対する喜びは大きい。
「エルルゥ……。なかなかこうして、二人きりになれなくてすまない」
「ハクオロ。私はトウカさんやカルラさんみたいに大人じゃないから、いつだって貴方といたいと思っているわ……。でもね、いいの。私は、こうして貴方が私のことを考えてくれるだけでうれしいから……」
エルルゥが愛おしそうに彼の頬を撫でる。
普段家事に勤しんでいるとは思えないほど繊細な指が自分の肌をなぞる度に、ハクオロの心が高く躍る。締め付けられていた愛情が自制心を突き破り、エルルゥを抱くその腕にも力が篭る。華奢な腰に腕を回し、彼女の自由を封じると、我慢しきれずお互いの唇を求める。互いの存在を確かめ合うような接吻を繰り返し、一度顔を離して尚、再び海に落ちていく。
ただ、二人の失態はあまりに熱中しすぎたために、戸口に立つ侍大将の存在に気づかなかったことである。
「お取り込み中申し訳ありませんが……」
「「!?」」
すぐさま抱擁を解き離れる二人。
「ベ、ベナウィ……。どうした?」
「そ、それじゃあわたし……」
エルルゥがそそくさと調理場を離れる。
彼の視線が痛い。周りの温度がすごく低い気がする。
ところが、どうやら今の行為を咎めるために来たわけではないらしい。すぐに表情を真剣なものに変え、ベナウィが報告した。
「所属不明の使者がたった一人で来ております。皇の間に待たせてありますが……。聖上、お気をつけください。何か危険な雰囲気を感じます」
「一人? 妙だな。そして所属不明というのは……?」
「申し訳ありません。言葉が足りませんでした。所属を明かさないと言うわけではなく、その、聞いたことのない名前だったもので」
「そうか……」
ハクオロはしばらく思案しているようだったが、どうにも会ってみないと話が進まないと思ったのかベナウィと共に歩き出した。ハクオロが皇の間に着くと、そこにはベナウィの言うとおり一人の男が座っている。皇の間にはオボロをはじめ、騎兵衆隊長のクロウも控えている。
「待たせてすまない。私がトゥスクルの皇・ハクオロだ。この度はいかなる用件で?」
ハクオロがそう言うと、男が懐から書簡を取り出した。
「我が名はウハイ。仕国・シミルパーヤ国皇、ヌワンギ新皇の使いで参った」
ウハイが口にしたその名前に、部屋にいた全員が驚く。特にオボロは、そのことが信じられないといった表情で使者であるウハイに詰め寄る。
「ヌワンギだと!? 奴は、奴は生きていたのか!」
「気安くその名を呼ぶな。貴様のような一兵卒に、我が主を汚されてはたまらぬからな」
「なんだと、貴様! 俺がそこらの雑兵だというか!?」
「なんだ。違うのか?」
ウハイがさも詰まらなそうにオボロを見やる。完全に我を失いかけている義弟をハクオロが慌てて止めるが、彼の怒りは収まらない。
「兄者離せ! ここまで愚弄されて黙っていられるか!」
「いい加減にしないか、オボロ! ……愚弟がとんだ無礼をした、真に申し訳ない」
二人のやり取りを観ていたウハイは呆れたように溜息をつくと、二人を無視して書簡を読み上げ始めた。
「前皇・インカラが国を乗っ取り、その身を自ら皇に据え権力を振るう愚かなる者よ。我が名はヌワンギ。正当なる王位継承者なり。暴かなる政にて民を苦しめ、自らの私腹を肥やす不届き者よ、正義は我にあり。この書簡をもってここに、我をトゥスクル国の皇とし、直ちにその地をシミルパーヤに差し出すことを誓わん」
「トゥスクルを差し出せだと? ふざけるな!」
一度は矛を収めたオボロであったが、ヌワンギの書簡に再び激昂する。クロウも同じように柄に手を掛け、臨戦態勢をとる。普段は二人を諌める立場のベナウィも、さすがに表情を険しくしてウハイをみやる。
「貴様らが何に腹を立てているのかわからんが、これだけは言っておく。この地は元々ヌワンギ新皇の治めるべきもの。そこに貴様らが勝手にいるだけだということだ」
だが、自分を取り囲む雰囲気をものともせずにそう語り、最後にハクオロを一瞥すると、ウハイは去って行った。
 
 
「それで聖上、どうされるのですか?」
ベナウィの言葉で会議は始まった。座しているのはハクオロ・ベナウィ・オボロ・クロウ・エルルゥ・カルラ・トウカ、そしてアルルゥとカミュである。
シミルパーヤという今まで名前も知らなかった国の、それも自分達の良く知るあのヌワンギが皇をしている国の突然の降伏勧告に、ハクオロをはじめとする面々の動揺は大きかった。
「確かに私はこの国の皇を殺し、その座を奪った。これは紛れもない事実だ。だからヌワンギが言いたいことも判る」
「兄者!?」
 オボロを筆頭にドリィやグラァたちが口々に驚きの声を上げる。
 「総大将、そりゃあねぇんじゃないですかい?」
 「そうだぜ兄者! 今更あの野郎が皇になるなんて、ありえないだろう? それに、奴の言っているようなことを兄者はしていない!」
 オボロの意見は正しい。前皇インカラの悪政に嘆いていたハクオロ達が彼を倒した後にまず行ったのは、民の生活を向上させることである。毎日山のように送られてくる書簡と格闘しているのも、そのために他ならない。そして現実に、彼の政によって民の生活は格段に向上したのである。ハクオロがすぐに民衆に受け入れられたのも、このおかげなのだ。
 「そうですわ。主様以外の方が皇になるなんて、私想像できませんわ」
 「某も同じ気持ちでありまする」
 「ええ……」
 ハクオロの室である皆もオボロに続いた。
 「皆……。ありがとう。ベナウィ」
 「はい」
 「戦の支度を。明朝、出陣する!」
 全員が同時に頷いた。
皆決意を秘めた表情で、主君の顔を見る。
ただ一人を除いて……
 
 
 動乱の中で生まれた新しき国、トゥスクル。
 皇は臣下を愛し、民を愛する。
 臣下は皇にその命を捧げ、そして民は皇を信ずる。
 
 
賽は投げられた……
 
 
 
 
 
 
あとがき
 
どうも、セシリアです。
 
長編第二話、如何だったでしょうか? オリキャラでまくりですね、はい。せっかく一話で子供らを出したんですけど、今回は出番がありませんでした。というかあれですね、長編だと登場するキャラに偏りが出ちゃって大変だということに気づきました^^; アルルゥやカミュファンの皆様ゴメンナサイ……
 
ヌワンギ登場です。本編では死んでないのに前半で早くも姿を消した彼ですが、私のSSでは大活躍(?)します。設定見ると判りますが、彼も30歳越えてます。空白の期間に何をしていたのかを書きたくて始めたのがこのSSであります。
 
シミルパーヤという名前ですが特に意味はありません。短編ではアイヌ語を使ったりしましたが、今回の奴は違います。
 
それでは^^