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廻る、想い









 ―――その噂を聞いたときの私は、一体どのような表情をしていたのだろうか。



 皆目検討もつかないが、隣で固まっていたトウカの表情を見る限り、似たような表情をしているのだろう。



 兎に角、それまで私が浮かべたどの表情と比べようとも、比較にならないほど滑稽な表情であろうことは容易に想像がつく―――非常に不愉快なことではあるけれど。



 それでも、今の私はおそらく全てを許容してしまうはずだ。



 それは私が待ち焦がれた一報だったのだから。



 行動は早かった。



 それを耳にした瞬間、私は一目散に駆け出した。



 周りを省みることなどできなかった。



 それほどまでに高揚した私の感情は、抑えきれるものではない。



 景色が流れるように消え、それ程の速度で駆けているにも関わらず疲れは感じない。



 おそらく、感情が振り切れてしまった私は肉体的な疲労など微塵も障害にならないのだろう。



 背後で聞こえていたトウカの叫びももはや聞こえない。



 速く、速く!



 全力で疾走する体と比べても、私の気持ちは遥か先を掛けている。



 目指すはトゥスクル。



 ―――私の、帰るべき場所。














 「トゥスクルの皇が旅から帰還した」



 その噂を聞きつけたとき、私は半信半疑―――いや、それ以上に疑っていた。



 それも当然だ。



 私は彼が旅に出たのではないことを知っているし、その最後の別れにも居合わせた。



 再会を願いながらも、それがおそらくは叶わぬ夢だと思っていったのだ。



 だからその噂を話す旅人を捕まえて、私は叫んだのだ。



 「嘘をついても、何の特にもなりませんわよ」



 普段と変わらない口調。だが、言葉を向けられた彼は私が言葉の奥に秘めた冷たさを感じ取ったはずだ。



 彼に関するいかなる讒言も許す気は無かった。



 だが、旅人は気丈に事実だと言い放った。



 それは男がトゥスクルで聞いた話。



 平和な山奥の里に、突如として旅に出ていたと噂される皇が帰還した、と。



 皇は特徴的だった仮面を付けていなかったものの、かつて持っていた雰囲気そのものは皇であり、彼自身もそれを認めた。



 だが、王城から訪れた侍大将からの政務復帰の説得に、皇は答えなかった。



 「こんどこそ、家族と共に暮らしたい」と。



 その傍らに居たのが、正室を迎えていなかった皇が最も親しげだった少女であった、と。



 気がつけば、私は駆け出していたのだ。



 べナウィが訪れた―――あの侍大将が、わざわざ本物であると確信できないものの元へと訪れるだろうか。



 たとえ皇が偽者であったとしても、成りすますのが狙いならば、政務復帰の願いを断るはずが無い。



 何より―――エルルゥだ。



 たとえどれ程姿形が瓜二つであろうとも、彼女が彼を間違えることなどあろうはずが無い。



 だからこそ、私は確信した。



 ―――あのひとは、帰ってきたのだと。



 風を切る音が遠く感じる。



 森を踏破し、草原を駆け、川を越える。



 ギリヤギナ族が誇る身体能力を極限まで駆使し、延々と続くたびの軌跡を走破する。



 だが、それよりもはやる気持ちは抑えきれない。



 ああ。



 一刻も早く。



 待ち焦がれたその姿をこの目で見たい。



 そして彼をきつく抱きしめるのだ。



 かつてナ・トゥンクでそうしたように。



 一度目の別れはそうできなかったけれど。



 再会できるこの時ならきっと、私の全てで包み込んであげられるはずだから。
















 初めての邂逅のことを、私はよく覚えている。



 地下牢に幽閉されていた私は、そこを強引に抜け出して彼の前へと降り立った。



 難破していた奴隷船から助け出してくれた恩人。地下牢に幽閉されはしたが、それはあの惨劇を見たものならばだれもがそうするであろう行為であったし、私が負っていた傷は丁寧に治療されていた。



 そのような恩人に危害を加えるつもりは無かった。



 ただ、私を助けたという相手に興味を持っただけ。



 初めは礼を言って去るつもりであったし、傷が治ったのなら出て行け、と言われるものだと思っていた。



 他国の奴隷を預かっていれば―――しかもナ・トゥンクという國の奴隷であれば、どのような言いがかりをつけられるか分かったものではないし、奴隷船の船員を皆殺しにし、牢獄の番兵を気絶させたものを相手にするのだ。



 可能性で言えば、即刻処断されるおそれもあった。



 にもかかわらず、彼はそうしなかった。



 行く当てが無いのならばこの國にいればいい、という彼の瞳はとても澄んでいて、変わった仮面をつけていたものの、私は彼という存在に興味を覚えた。



 だから私はギリヤギナの力を傭兵として使ってくれるように頼んだのだ。



 それ以来、私は彼を観察していた。



 小國でありながら活気に満ちた国。臣下の信頼も厚く、誰よりも率先して先頭に立ち、一人の人間として苦しみも喜びも分かち合える人。



 いつしか私は、彼を皇としてではなく一人の人として見、そして惹かれていった。





















 思えば、私はいつでも彼のことを想っていたのだ。



 旅に出たのも彼の意思を受け継ぐため。何より、貴方との思い出が沢山詰まった國にいることを、私自身耐えられそうに無かった。



 離れ離れになって、私は弱くなってしまったのだろうか。



 何故なら貴方を求めて、こんなにも胸の鼓動が抑えられない。



 いますぐ、貴方の元に参ります。



 その時こそ、決して離しはしません。



 サハリエ・ナトゥリタ―――



 ―――私の、いとしいひと。