今宵の月は本当に美しい……。
なんです? 酔っているのかですって?
ええ、そうなのかもしれません……。
何故……と仰られても、そんなことは決まっています。
聖上のご世継ぎがお生まれになられたのですよ? 
こんなに喜ばしいことはありません……。
奥方様……という呼び方は私自身しっくりきませんが、奥方様によく似て、とてもお美しいお方ですよ。
今日ばかりは貴方の妹自慢も嫌味になりませんね。
これでようやく聖上も落ち着いてくれるかもしれません……。
 
ふふっ、いやに饒舌ですね。
私の方がですか?
まぁ、否定はできません。
どうです? 
饒舌ついでに私の昔話をさせていただけませんか?
いいじゃないですか。
たまには無口な男に語らせて下さい……。
 
 
うたわれるものSS
「昔語り」
 
 
 
私が始めて貴方に出会ったのは今から五年前。まだ二十になってもいない頃でした。
当時の私は若干十七の身でありながら、精鋭揃いの騎兵衆で隊長に名を連ねていました。自分で言うのもいささか恥ずかしいですが……。
國は皇が変わったばかりの不安定な状態でした。前皇は……まぁその話は後日またお話しします。
テティス。
新しくケナシコウルペの実権を握った皇・インカラの近衛兵長であった貴方は私達騎兵衆を見るなりいきなり仰いましたね。
「なんだ貴様らのその腑抜けた顔は! 前皇がどういう指導をしたのか知らぬが、私が侍大将になったからには徹底的に鍛えなおしてやるからな! 全員、肝に命じておけ!」
私を含め騎兵衆の皆は反発しました。
当然でしょう。
信頼していた皇からその地位を奪った一族とその身を守る近衛兵の長に、間違っても信頼などおけるはずがなかったからです。
まして、貴方様は女性だった。
皆口には出しませんでしたが、女である貴方を嘲っていました。
どうせその身体で皇を誑し込んだが故の地位だろう、と。
……かくいう私も、その中の一人だった。
 
 
ですがそのような嘲りは私達が初めて顔を合わせてから最初の訓練で終わりを告げました。
城の前庭に集合した我々に貴方は仰った。
「全員で私にかかってこい。何、遠慮はいらぬ」
あちこちから起こる失笑など意に介さず自慢の槍を傾げて、一際大きな声で笑う同僚に突きつけた視線は恐ろしかった……。
「そうだな……まずは貴様、余程自信があるらしいな? ご自慢の実力を見せてもらおうか」
同僚は尚も馬鹿にしたようににやついていたが、やがてテティス様が本気であると分かると腰から訓練用にあつらえた模造刀を抜いた。
「いいんですか隊長? 綺麗なお顔が台無しになっちまうかもしれませんよ?」
「御託はいい。さっさとかかってこい!」
「っち! 後悔しないでくださいよ……っとお!」
一度気合を入れるように刀を振ると、同僚はウォプタルを駆った。十分に加速をつけ、一気に彼女に肉薄する。
が、彼が間合いに入るやいなや、傾げていた槍が突然嘶いた。
次の瞬間、同僚は地に落ちていた。
彼は何故自分がウォプタルから落ちたのか分からないといった表情だ。
「私を舐めるな! 貴様ごときが無闇に突っ込んで来るのを地に落とすなど造作も無い! さぁどうした、他の者も来てみろ! ……もっとも、この男のように一人で来ない方が身のためだがな」
彼女の周囲を囲む我々は、驚きを隠せないでいた。
何故なら、彼女がいとも簡単に投げ飛ばした男は騎兵衆でも一、二を争う実力の持ち主だったからだ。勿論油断していたということもあるが、それでも彼女の芸当が相当なものであることは言うまでも無い。
全員の額に緊張の汗が流れる。
だがその状況を見ても、同僚達は全員でかかろうとはしなかった。私がいくら声を張り上げて静止しても、それぞれがばらばらに突っ込んでいくばかりで、全く統制がとれない。
自分達が散々馬鹿にしてきた女相手に、徒党を組んで襲いかかることができなかったのだろう。
そうは言っても次々に向かってくる男達も素人ではありません。普通ならば精々二十人を倒すくらいで力尽きると思っていました。
しかし彼女は一向に倒れようとはしないのです。
迫り来る斬撃をいなし、鋭い突きを繰り出す彼女の戦い方はまさに芸術品のようでした。
見ると、私以外にはもう誰も立っている者はいませんでした。
多くは気を失い地に伏しています。
「ほぉ、中々見所がありそうだな……。それとも単なる腰抜けか?」
彼女は既にウォプタルから降りていました。彼女の苛烈すぎる動きにウォプタルの方が耐えられなかったのです。
私はゆっくりと地に降りました。
「わざわざ自分から降りたか……。面白い、さすがはその若さでこやつらを束ねていただけのことはある。その潔さに免じて手加減してやってもよいぞ?」
無言で刀を構える。
「なるほど、無用のようだな……」
次第に高まってゆく気を得物に伝え……、
「行きます……」
そして地を蹴った。
構えは下段。
狙いは槍の刃元。
私の接近をずっしりとした構えで受ける。
後ろ足に体重をかけたその姿勢は後の先を取るためのものと直感で判断した私は咄嗟に横に飛ぶ。
直後、さっきまで直進していた箇所に鋭い槍撃が襲い掛かる。
驚いたように眼を見開いた彼女の右足に、下段から刷り上げるように切り込む。
「ほぉ……」
決まった、と思った。
だが彼女は即座に身を翻すと、穂先の反対側―石突き―を私の腹の中心に当てた。
彼女は当てただけにすぎない。が、私は自分自身の突進の勢いを持って痛烈な衝撃を腹部に受けてしまった。
あまりの痛みに一時呼吸をもできなくなる。
冷ややかな視線を私に浴びせながら彼女は言った。
「いいか、それは槍を使う相手には少々分が悪い。お前の相手が刀や斧ならば十分通用しただろう。それらは一度攻めてを外されると次撃までに時間がかかるからな。しかし槍は別だ。槍は刀と違って柄の両端を攻撃に使える故、切り返す必要が無い。その回転運動による連続した動きを見落としていた、貴様の負けだ」
そのまま私に近づいて来ると、今まで硬かった表情が一瞬だけ緩んだように感じました。
「だが、お前の気迫は見事だった」
それだけ言って足早に去ってゆく貴方の背中は、再び隊長のそれでした。
 
 
その日以降、テティス様に対する皆の態度は確かに変わったと思います。
実際に手を合わせていない歩兵衆の幾らかは相変わらずでしたが……。
 
 
訓練を終えたある夜―そう、ちょうど今宵のように月が綺麗だった……―、私が城内を歩いていた時に、手摺に手を置きながらぼんやりと城下を眺める貴方様に出会いました。
この時はまだ、そうですね、ただの隊長と副長の間柄でしかなかった。
いつものように軽く会釈をして通り過ぎようとした私を貴方は突然呼び止めるかのように呟かれました。
「ベナウィ、我々兵士はなんのために存在していると思う?」
いきなり聞かれただけに慌てました。いえ、というより、普段とは違う口調に驚いてしまったからかもしれません。
「テティス様? ……それはやはり、皇をお守りするためではないのですか?」
当たり前のように私がそう答えると、貴方は首を振られましたね。
「違うぞ、ベナウィ……」
「え?」
「我々の仕事は確かに皇をお守りすることだ。だがな、そうである前に我らはこの国の民を守らねばならん。この国を支えているのは誰だ? それは民だ。皇ではない……。いいか? お前だけはこのことを覚えておいてくれ。『皇あっての民ではない。民あっての皇なのだ』ということをな……」
私はこの時程、己の短慮を嘆いたことはありませんでした。
民あっての皇。
最も弱き者が、最も強き者を支えている。
まさに……その通りです。
貴方に仰っていただかなければ、私もまたインカラと同じ過ちを犯していたのかもしれません。
この夜の出来事を継起に、私の中で貴方様という存在がとても大きなものになったような気がします。それまでも確かに上官としての敬意を持っていました。しかしそうではない、一人の人間として、また男として、貴方に惹かれていったのです。
 
 
こんなこともありました。
その日、私は部下を数名連れて付近の集落の見回りに行っていました。軽い任務でしたので、行きがけに聖上自らテティス様に在城を言い渡した時には特に何も考えずに了承しました。
何事もありませんでしたが、通例となっているテティス様への報告のために、私は貴方様の執務室を尋ねました。
中に入ろうとした私は、室内から聞こえてきた声に思わず足を止めました。
「だから何度も言ってるにゃも! 一緒に来るにゃも。朕といいことするにゃも!」
それは他ならぬ聖上のものだったのです。おそらく何度も説得していたのか、かなり苛ついているようでした。
さらにその内容にも衝撃を受けました。当時の私とて、それがどんなことを意味しているか知っていたからです。
同時に、言いようのない、胸の内から迫ってくる嫌な感情が私を支配したのです。
「お招きありがとうございます。しかし聖上、私は生来の粗忽者故、その言葉を受け入れる訳にはゆきませぬ。それにまだまだ國の民のためにやらねばならぬこともありますので……」
どうやらテティス様は上手く断っているようでした。ですが、とうとう業を煮やしたインカラは実力行使に出たのです。
「あ〜もううるさいにゃも! そんなことはどうでもいいにゃもよ! いいから早く来るにゃも!」
「きゃっ!?」
私はじっと息を潜めていましたが、貴方の悲鳴に黙っていることができませんでした。
ただ感情の赴くままに部屋に入ってしまったのです。
「お止め下さい聖上!」
「にゃ、ベナウィ!? なんでおみゃーがそこにいるにゃも!? ……それより、今は取り込んでるにゃも。早く出て行くにゃも!」
入ってしまってから、何を言うべきか迷いました。ですが、突然の私の襲来に慌てて居住まいを正すインカラに、咄嗟にとんでもないことを言ったのです。
「いえそういうわけにはゆきません。如何に聖上といえど、その、『ヒトノオンナ』に手を出すのは止めていただきたい!」
今思い返しても、ひどく片言でしたね……。
二人が二人とも、この発言には驚いていました。
片言の演技が原因だったのかわかりませんが、やはりあの男は私の言うことを信じません。
「ふん! でまかせを言うなにゃも! おみゃーのような若造にテティスが惚れるわけないにゃもよ!」
正直、それ以上の言葉を用意していなかったので困りました。
どうしようかと言葉に窮していましたが、意外なところから救いの手が差し伸べられたのです。
「ベナウィの言っていることは真実です。……我々はもはや互いに睦言を交し合った仲。如何に聖上といえど、私の肌に触れさせる訳にはまいりませぬ」
あたかもそれが真実であるかのように、テティス様は仰いました。
そしてそれを証明するためか、わざわざ私の手を取って下さった。
その後、私達二人はインカラに散々罵倒されたような気がしますが、正直あまり覚えていません。
……まだこのように女性と触れ合った経験の無い自分は、真っ赤になりそうになる顔を抑えるのに必死だったんです。
彼が出て行ってから、慌てて言いました。
「申し訳ありません! その、言うに事欠いて『ヒトノオンナ』などと……」
「いや、いいんだ。むしろ礼を言わせてくれ。ありがとう、ベナウィ……」
「そんな……勿体なきお言葉です……」
「しかし、ふむ……。そうだな、どうだベナウィ、本当に『ヒトノオンナ』になってみようか?」
「テ、テティス様!?」
今しがた隣にいた貴方が、いきなり懐に入ってきた時は驚きました。しかも、さらに首に回された手によって逃れることができません。
密着したためか互いの熱をより感じることになりました。
また、ほのかに鼻腔をくすぐる貴方の香は、普通の女官達が愛用する香袋のものではない、武士のそれであったにもかかわらず、えらく刺激的なものだったと思います。
まるでまどろみの中に引きずり込まれるような……。
鼻先が触れ合う感触は、私を現実へと引き戻しました。
交錯した視線が、やがてどちらともなく閉じた眼によって遮られる。
自ずと呼吸を止め、そして……、
 
何かが唇に触れました。
ただこれは少し予想と違う、といいましょうか? 唇にしては小さいような……。
不思議に思って見てみると、いつのまにか離れた貴方の指先が、私の唇に当てられていました。
「ふふっ、冗談だよ。一度、お前をからかってみたくてな。いくらその年で隊長をやっていても、如何せんそちらの方はまるで初心なのだな」
「は、え……?」
「そんなに呆けた顔をするな……。だが……悪いな。やはり私は一生、女であるわけにはいかぬのだ。私には恋をすることはできないだろう。この身は全てこの國の民のためのものだからな……」
まったく、貴方もお人が悪い。
それならそうと、こんなことはなさらないでくれればよいものを。
まぁ、貴方の信念を鑑みれば、分かりえたのかもしれません。
 
私は……本気だったんですがね……。
 
 
それからしばらくして、ある地方豪族の反乱が起こりました。
苛烈を極めた年貢の増徴に反発した藩主達は徒党を組み、皇都に攻めあがろうとしていたのです。
反乱軍は相当の勢いを持っていましたが、所詮はただの農民でしかありません。訓練を重ねて統制のとれた我々にとっては、苦のない相手でした。
ただ、終始投降を訴えるテティス様の横顔が余りにも悲痛であったのを覚えています。
民を愛した貴方だからこそ、その彼らに槍を向けることが我慢ならなかったのでしょう。
 
 
付近の叛軍を壊滅させた後、我々は辺りの哨戒をしていました。
そしてほぼその地域の制圧を終了した私は報告のためにテティス様の下を尋ねました。が、その時背中に冷たい汗が流れるのを感じたのです。
次の瞬間、
事切れたとばかり思っていた敵兵の凶弾が私を襲いました。が、襲ってくるはずの痛みがいつまでも来ません。
気が付くとテティス様が目の前に横たわっていました。
「っぐ……ベナ……ウィ……、無事か?」
「テティス様、何故このような無茶を!? お気を確かに! すぐに手当てを!」
「止めろベナウィ……私は、私はもう助からん……」
私自身、彼女の言っていることを理解していました。
広がっていく紅い海が何よりも雄弁にそのことを語っていたからです。
ですがまだ一縷の希望を捨てきれずにいました。
「そんなことを仰らないで下さい!」
「いいんだ……。それよりも、ベナウィ、私の槍があるな?」
見るとまるで彼女に寄り添うように、彼女の愛槍がすぐ横に突き刺さっていたのです。
「はい。確かにここに……」
「それを、その槍をお前に託す。……この意味が分かるな?」
初めは貴方の言った言葉が信じられなかった。
ですが、だんだんとその真意が伝わってきました。
そしてそれが分かると、私は自身の目頭が熱を持ち始めたことを悟ったのです。
勤めて分からぬといった調子で声をかけ続けました。
「お待ちください! 何故そのようなことを……」
「馬鹿者……大の男が泣くでない……せっかくの顔が台無しではないか……」
言いながらそっと貴方の指が私の頬に触れた。
ほっそりとした長いそれが顔を撫で、そして今まで私を覆っていた硬い殻を一枚一枚めくっていくようだった。やがてそれは私の、決して言うまいと決めていた最後の砦をも取り去ってしまったのです。
「私は、貴方様を……テティス様を好いておりました。初めは上司への尊敬だったのです。しかし、それは次第に私の中で抑えきれぬ恋慕の情へと変わっていきました……。不敬をお許し下さい、ですが私は……」
言葉を続けようとした瞬間、不意に貴方のお顔が近づいてきていたことを覚えています。そしてその時私はきっと止めようと思えば止められたのです。しかし、私の中にある何か得体の知れない感情がそれをさせなかった……。
その時の貴方様の温もりを一生忘れることはできないでしょう。
刻々と近づく終わりを感じさせる冷たさではく、えもいえぬ熱を帯びたものだったからです。
胸の内で渇望していたそれは、まるで永遠のようでした……。
甘美な交わりで呆けた自身を正気に引き戻したのは貴方の吐息。
同時に、より真摯に互いの眼を見据えました。
普段の厳しく、凛々しく、気高さを讃えた顔ではない。初めて見る、美しき女神のようでした。
 
しかし私達に与えられた時間は余りにも短かった。
再び触れ合うことを望んだ我々の距離が離れていきました。
それは貴方の命の灯火が尽きる証。
 
「……ウィ…………しも……を…………」
 
未だに貴方が最後に何を仰ったのか分かりません……。
ですがきっとそれでいいのでしょう。
不思議とそういう気がするのです。
 
 
あれから刻は流れ、國は滅びました。
前皇によって虐げられた民を見かねて、あの方は立ち上がったのです。
心苦しいですが、貴方様の考えはインカラには最後まで届かなかった……。
ですが新しき皇は貴方の愛した民を守ってくれています。
幾度となく来た国難を、皇は自ら民の矢面に立って救ってきました。
 
テティス様……ご安心下さい。
皇は必ずや貴方様の望んだ世を築いてくれることでしょう。
そして私も、一生をかけてこの國の平和と繁栄のため國と民を守ります。
 
 
貴方が託したこの槍に誓って……
 
 
 
 
って、寝ないで下さいよ。
……人が折角普段は言わないことを話しているというのに。
貴方という方は……
まったく……
 
 
 
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
どうも、セシリアです^^
 
先日お届けした「昔語り」を少し厚くしてみました。どうも前回のものだと、「初恋」と書いてあるわりにそれっぽくないんで^^;