ガタゴトと車体を揺らし、森を進む。
 
 既に夜は明け、差し込む日差しが私の頬を差す。
 
 鳥の囀りも、草木の揺れる葉音も、その全てがこの地の平和を示していた。
 
 この森には多くの命が宿っている。
 
 時折見かける野性の草食動物は、外敵の少ない環境のためか、逃げ出すことなく此方を覗き見るものもあったし、その様子を眺めているだけで心が和む。
 
 「なあ、そろそろ何処に向かっているのか教えてくれないか」
 
 城を抜け出して半日。
 
 未だにその目的地がはっきりとしない。
 
 簀巻き自体はあの後すぐトウカにといてもらった。
 
 「聖上のようなお方に、何という仕打ちをするのだ」
 
 等と喚いていたトウカだが、カルラに良い様にあしらわれた後、疲れたのかそのまま眠ってしまった。
 
 風邪をひいてはいけないと思って掛けてやった布団に包まり、幸せそうな表情で眠りこけるトウカを尻目に、御者台でウォプタルを操るカルラに問いを投げかける。
 
 「あら、言いませんでしたかしら」
 
 「聞いていないぞ」
 
 ただ単に旅行に出る、と拉致されたわけだから、詳細など知る由も無い。
 
 それを聞くタイミングも逸していたし、大掛かりな身支度を必要としない様子だったため、近場への小旅行だと考えていたのだが、これまでずっと森を走る街道を進むばかり。
 
 途中に幾つもあった分岐路を素通りし、ただひたすら馬車を駆るその様子を見るうちに、非常に不安になってきた。
 
 もしや、小旅行とは考え違いなのではないか、と。
 
 小旅行程度ならば普通に言えばなんとか都合がつくはずで、私を強引に拉致する必要が無い。
 
 当然その前後に行う政務は涙ぐましい努力を以ってこなさなければならないが―――それは対した障害にならない。
 
 何せ、カルラ自身が負う負担など何一つ存在しないのだから。
 
 それにも関わらずこうした強行に出る、ということは、許可が降りそうに無い、ということではないだろうか。
 
 「もしかして、かなり遠い所なのか?」
 
 冷や汗が流れる。
 
 もしそうならば、本当に殺されるかもしれない。
 
 ベナウィや山のような政務以上の強敵―――ヤマユラが生んだ辺境の女、エルルゥの手によって。
 
 「いいえ、もうしばらくで中間地点に着きますわ」
 
 ということは、二泊程度で帰還できるだろうか。
 
 「それで、何をしに行くんだ? 何か目的があるのだろう?」
 
 カルラはこちらを振り向いて微笑む。
 
 「対した事ではありませんわ。小耳に挟んだ温泉に行きたかっただけでしてよ」
 
 「温泉、か」
 
 確かにその響きは気持ちが良さそうだが―――ならばどうして事前に言ってくれなかったのか。
 
 「もし相談したら、あるじ様は皆一緒に連れて行ったでしょう? それでは体が休まりませんわ」
 
 カルラは口元に笑みを浮かべたまま言う。
 
 確かにカルラの言うとおりだ。
 
 もし旅行に行くなら私は皆を連れて行ったはずだ。
 
 私はそれでも一向に構わないし、皆の喜ぶ顔が見られれば満足なのだが。
 
 カルラはそんな私に気を使ってくれたのか。
 
 ……正直、そのほうが後で怖い目に合いそうな気がするのだけれど。
 
 「ほら、着きましたわよ」
 
 カルラの言葉と共に、急に続いていた森が開けた。
 
 そこは丘陵の上だ。やや下った先には集落らしきものが見える。
 
 一帯は農作地帯なのか、集落の先には広い農作地帯が広がっていた。
 
 「そろそろお腹が減ったのでは無くて?」
 
 「……確かに」
 
 最後の食事は昨晩の夕餉だ。
 
 昼には早いとはいえ、朝食を採っていないため空腹には違いない。
 
 「あの集落で休憩をとりましょう。私は少し寝させて頂きますわ」
 
 カルラは昨晩からずっと馬車を駆っていた。眠っていないことで疲労も限界に達したのだろうか。
 
 よく見てみればその表情にも疲れが浮かんでいた。
 
 馬車が集落に入る。
 
 そこは中々活気付いていた。集落としては珍しく舗装された通りが存在し、幾つかの宿が点在している。
 
 「ここは……」
 
 「トゥスクルの北と南を結ぶ交通拠点ですわ。皇都に来る海産物は大抵ここを経由してきますし、発展しているのも当然ですわ」
 
 カルラに任せて道を進んでいたため全く地理の把握が出来なかったが、どうやらトゥスクル國内を北上していたようだ。
 
 貿易中間点はどこも宿場として発達する。
 
 ここならばそう不便することも無いだろう。
 
 私自身も、顔を知られている心配は無い。夜間連れ出されたことが幸いし、強制的に着せられるような高価な着物ではなく、人々が身に着けるものと大差ない着物だ。
 
 それに加えて普段外に顔を出さないぶん、この土地で顔を知られていない私は自由に動き回れる。
 
 もっとも、この仮面ばかりは隠しようがなく目立ってしまうが、仕方が無い。
 
 「おい、トウカ。起きるんだ」
 
 「うにゅ〜〜……」
 
 眠っているトウカを揺り動かすも、起きる気配が無い。
 
 幸せそうな表情を崩さず、相変わらずの緩み顔だ。
 
 こうした表情はトウカが城にやってきた当初は見せなかったものだが、武士としてのキリッと表情ばかりでなく間の抜けた一面を見ると、トウカが今の生活に馴染んでくれたと実感する。
 
 ―――とは言っても、トウカを此処に放置していくわけにも行かない。
 
 「おーい、起きてくれ」
 
 「ん〜〜〜……」
 
 ……駄目だ。全く起きる気配が無い。
 
 「……放っておきましたら? そのうち起きますわよ」
 
 呆れ顔のカルラ。
 
 「いや、そうもいかないだろう」
 
 どうしたものか、と思案する。
 
 此処はやはり、驚かすしかないのだろうか。
 
 まずは大きく息を吸い込む。
 
 そして出来る限り耳元に顔を寄せ―――。
 
 「敵襲だっ!! 目を覚ませ!」
 
 大声で叫ぶ。
 
 次の瞬間、トウカは飛び起きるように目を開き、手元の刀を引っつかむ。
 
 「な、何事ですか!?」
 
 慌てて顔を巡らせる。
 
 突然のことに何がなんだか分からないが、とりあえず反射的に目を覚ましたらしい。
 
 「くっくっくっ……」
 
 その様子がおかしくて笑ってしまう。
 
 呆然とした顔でこちらをみていたトウカだが、からかわれたことを理解したのか、顔を赤く染めて怒り出した。
 
 「せ、聖上! 悪ふざけが過ぎます!」
 
 「―――す、すまん……。だ、だが、どうしてもおかしくてな……クックックッ」
 
 「笑わないで下さい!」
 
 こうしていると、トウカがエヴェンクルガの武士だとは思えない。
 
 ただの、一人の女の子みたいだ。事実そうなのだが。
 
 「……あれで寝殿の警護が務まりますの?」
 
 確かに、警護対象の傍で眠りこけてはお話にならない。
 
 カルラは一つ、大きなため息を吐いた。
 
 頭を抱えるカルラを見ることも珍しい。この旅では二人の新しい一面を見られるかもしれない。
 
 そう考えると、少しこの先が楽しみに思えた。