うたわれるものSS 「追憶」
 
 
ある晴れた昼下がり、ハクオロはその日の政務を終わらせて城内をぶらぶらと歩いていた。
大陸各地で、争いが絶えなかった頃が嘘のように、昨今の世は平和である。これもひとえに、ハクオロを中心とした、トゥスクル・クンネカムン・カルラゥアツゥレイ三国同盟の発展によるところが大きい。発足当初は、クンネカムンとカルラゥアツゥレイにしばしば緊張があったものの、ハクオロが間に入ることで、すこしずつではあるが諍いは減っているようである。現在では積極的な物資・人員援助や、さかんな文化交流も行われている。
ふと前庭に目をやると、大勢の男たちが掛け声とともに、埃だらけになりながら互いの気迫をぶつけている。と、兵たちの中心に、大刀をかざして激をとばす一人の威丈夫が立っている。トゥスクルが誇る歴戦の騎兵衆「ラクシャライ」の大将、クロウである。
以前は彼の上官にあたる、「トゥスクル皇国の盾」と他国から賞される、現侍大将・ベナウィが、侍大将と騎兵衆大将を兼ねていたのだが、彼の担うべき役割が大きくなったこともあり、その位をクロウが引き継いだのである。もっとも、その時クロウ本人は「未熟なもんで」と何度も辞退したのだが、兵士たち全員の懇願とハクオロたっての具申によって、ようやく納得したのだった。
しばらく演習を観ていたハクオロは、やがて再び歩き始めた。
「さて、これからどうしたものか… 久しぶりに畑にでも行ってみるか。モロロも気になるしな」
そして裏庭に向かう途中で、オボロを見かけた。
「よぉオボロ、どうした? こんなところで」
「おぉ、兄者。いや、ちょっと刀の手入れでもと思ってな」
そう言ってオボロは刀を鞘から引き抜いた。よく観るとところどころ刃こぼれしており、お世辞にも良いとはいえない状態である。しかし、そうなったのは彼がずさんに扱ってきたからでは決してない。それは全てこのトゥスクルを、そして彼の最愛の妹・ユズハを守ったために他ならない。
しかしそうはいっても、この刀の状態はあまりにもひどかった。それゆえにハクオロは、オボロに訊ねた。
「なぁオボロ、刀を手入れすると言ったが、この際新調したらどうだ? チキナロに言えばそれこそ少々の業物でも手に入るぞ。確かに、馴染んだものを変えるのを躊躇うのも判るが、その状態ではいつ折れてしまうかもしれんぞ」
ハクオロがそう言うと、オボロは一瞬刀を見た後、静かに首を横に振った。
「兄者、ありがとう。でもいいんだ」
「いいって… やはりこの刀には特別な思い入れがあるのか?」
「俺、誓ったんだ」
「誓った?」
ハクオロはオボロと刀を交互に見やった。そして、オボロの刀を見る目に、何か特別な決意のようなものを感じたのだ。
「よかったら聞かせてくれないか? その、誓いというやつを…」
 
 
 
 
 
 辺りは、炎の海だった。
 仲間と駆け回った広場も。
 妹の好きだった花畑も。
 たくさんの思い出が無残に踏み荒らされていく。
 
 
のどかな村だった。ケナシコウルペの中でも豊かな方ではなかったが、それでも皆平和に暮らしていた。彼の家系は代々村長を務め、村人にもすこぶる評判だった。
 そんな家の嫡子として彼、オボロは生まれた。他の部族より身体能力に優れて生まれた彼は、村の少年たちのリーダーであった。同時に彼の家系は、代々村に危険が迫った時の護り手でもあったので、彼も幼いころから父親に武芸を学んでいた。そしてその中でドリィ・グラァとも出会った。
 ある日、父がオボロを部屋に呼んだ。いたずらを叱られるのかと思って恐る恐る戸を開けたオボロは、そこで見たことの無い二人の女の子がいることに気づいた。二人とも畏まった様子で、正座したまま微動だにしない。
 オボロが父に尋ねた。
 「父上、この二人は…」
 「うむ。二人の名はドリィとグラァ。二人には今日からお前の世話係をしてもらう。・・・と言ってもそんなことはどうでもよい。オボロ、二人と仲良くするのだぞ」
 オボロは最初、不思議に思った。相手はどう見ても自分より年下であるし、それに何故女児二人を? と。しかし深く考えないことにした。元々考えるのは得意ではないし、可愛い妹ができたと思えばそれでいいと思ったのである。
 オボロがそんなことを考えていると、二人が始めて口を開いた。
 「若様、お初に御目にかかります。ドリィと申します」
 「若様、お初に御目にかからせていただきます。グラァと申します。ドリィ共々よろしくおねがいいたします」
 二人は同時に頭を下げる。二人とも本当によく似ている。どうやら瞳が紫なのがドリィ。青いのがグラァらしい。すぐに違いを見つけたオボロはさすがというべきか。
 それから三人は、常に共に行動するようになった。
 オボロ12歳。ドリィ10歳。グラァ10歳の頃のことである。
 
 
 それから6年の月日が流れた。
 三人はそれぞれ立派に成長し、オボロは剣を、二人は弓を持つようになった。
 毎日三人で武芸を磨き、暇を見つけてはユズハと話した。
 とても平和で、幸せだった。
そしてその時の彼らには、自分たちに危険が迫っていることが判らなかったのである…
 
 
「「若様! 起きてください! 若様!」」
オボロは眠っていたところをいきなり二人に起こされた。肩を揺すられ、強制的に目覚めさせられる。何事かと思ったが、二人の顔に只ならぬものを感じ、慌てて立ち上がると、部屋を飛び出す。オボロの目に飛び込んできたのは村を焼く禍々しい炎だった。そして、目を血走らせた男たちが倉を壊し、抵抗する村人を蹂躙している。皆が作り上げてきたものが、壊され、破壊されていく姿を見たオボロは、自分の身体がカッと熱くなるのを感じた。
「よくも、よくも村の皆を!」
オボロは手にしていた刀を握り締めると、野盗達に突撃する。男たちは、気合と共に切りかかるが、オボロの剣撃の前にまず一人が葬られた。さらに二撃、三撃と続けるうちに、あっという間に五人が息絶える。
「なかなかやるなぁ、坊ず。俺の相手もしてくれよ」
いきなり横合いから激しい斬撃を喰らった。ぎりぎり刀で防いだものの、不安定な状態で相手の攻撃を受けた刀は、その刃を虚空に投げ出した。オボロの刀が根元から折られてしまったのである。
「な、なんだと!?」
さらに男の攻撃は続く。袈裟切りに一閃、返す刀で振るわれた一撃が浅くオボロの―彼の最大の武器である―足を傷つける。機動力の大半を失ったオボロはそれでも尚、紙一重で攻撃をかわすが、やはり徐々に追い詰められていく。
そして、男の手下達がオボロの劣勢を悟り、次々と集まってくる。
万事休すかと思われたその時突然、手下の男が絶叫を上げてうずくまった。よく観ると矢が男の肩を貫いている。さらにもう一発。今度は別の男の腹に突き刺さり、そのまま男は絶命した。
「何だ!? 矢だと? どこから撃ってきやがった! …ん、っち! あいつか!」
男がそう毒づくと、遠くからドリィが走り寄ってくる。男は手下達の骸を一瞥すると、苦々しげな表情を浮かべて立ち去っていった。
逃げていく男の背中を睨み、オボロは後を追おうとするが、後ろからドリィに止められる。
「ま、待て… 許さんぞ。逃げるな、俺と、俺と勝負しろーー!」
「若様、お待ちください! 今追っても無理です! それよりもお怪我を…」
「止めるな、ドリィ! 怪我なら心配いらん。俺は奴を追う!」
「無茶です! いくら若様でも、そのようなお体では。それより一度御戻り下さい、御館様とユズハ様のお姿がお見えになれないのです!」
「何だと、ユズハが!? それに父上も… ドリィ、すぐに戻るぞ!」
「はい!」
オボロ達が戻ったとき、そこには焼け崩れ、崩壊した館の姿しか残されていなかった。突然もたらされた暴力の前に彼の全てが失われたのだ。
「そんな… うっ、ユズハ… 父上…」
「若様…」
オボロが涙を流すのを後ろから見守っていたドリィは、かすかに近くの草むらから人の気配がするのを感じた。急いで弓を構えるが、そしてそこから出てきたのはオボロの最愛の妹、ユズハであった。
「ユズハ様っ!? ご無事でおられたのですか!」
「ユ、ユズハ… ユズハなのか!? よかった、本当に良かった…」
オボロがその足を引きずりながら寄り、強く抱きしめる。
「お兄様… ユズハは無事でございます… その、少し痛いです。それより、グラァ様をお願いします。あちらの方に…」
と、ユズハが見えないはずの瞳を開き、はっきりと自分が出てきた草むらを指差した。
オボロ達が草むらに駆け寄ると、そこには所々衣服に焼け跡を残したグラァが横たわっていた。ドリィがゆっくりと抱き起こして呼びかけると、やがて目を覚ました。
「ドリィ。それに若様… ご無事で何よりです。若様、僕は若様が出て行かれた後、ドリィと二人で館の皆を避難させていました。しかし、御館様とユズハ様のお姿がどこにも見あたらなかったのです。そして屋敷中を探してもう一度ユズハ様のお部屋の前を通ったとき、お部屋の中でお二人を見つけました。しかし… そのときにはもう、御館様は、御館様は……!」
グラァが部屋に駆けつけたとき、そこには焼け落ちた梁の下敷きになっているオボロの父の姿があった。グラァが側に寄り、身にかかる火の粉も省みずに彼を助けようとするが、梁はびくともしない。グラァの存在に気づいた彼は、グラァが梁を動かそうとするのをやめさせ、残った全ての力でその身をすこしだけ持ち上げた。そして彼の身体と床の間にできたわずかな隙間にユズハがいたのだ。グラァがすぐにユズハを助け出す。オボロの父は、その身を焦がしてユズハを迫り来る火の粉から守っていたのだ。そして、グラァが再び彼に手を伸ばそうとした瞬間、無理に動かしてバランスを失った梁が彼のその身を押しつぶした。
グラァはその後のことはもう覚えていなかった。あの状況の中で、夢中に屋敷から飛び出した後、この草むらに飛び込んだのだろう。
「そして、ユズハ様が無事に助けだれたのをご覧になった御館様は最後に仰いました。『オボロ。ユズハ。私は幸せだった。お前たちも幸せになってくれ。そしてドリィ・グラァ、オボロ達を頼む。さらばだ、愛しい息子達…』、と」
「そうか… グラァ、よくユズハを助けてくれた。心から礼を言う。だから今は休め」
オボロがそう言うと、グラァは静かに眠りについた。よく見ると、その身はあちこち火傷を負い、両手はひどい有様だった。美しかったその肌も至る所に傷を作り、煤だらけである。しかしその顔は、とても幸せそうだった。
 
 
それから四人は村を跡にした。ユズハの身体のことがあるため、あまり長距離を移動するのはよくないのだが、あの野盗達が近くにいることの方が問題だった。きっとあの時の恨みで、必ず再び仲間を集めて襲ってくることだろう。いくらオボロ達が強くとも、ユズハを守りながらでは限界があるのだ。
長い時間をかけて、四人は国境の辺境の村にたどり着いた。ただ、自分たちは道中様々なところで盗みを働いてきている。いくら生きるためとはいえ、これは許されることではないのだ。自分たちがこの村に世話になってしまえばそれだけでこの村に危害が及ぶ可能性がある。そう考えたオボロ達は、とりあえずこの村の近くで野宿をして、翌朝また旅立つつもりだった。
しかしここで問題が起こったのである。ユズハが突然熱を出したのだ。普段は薬を飲めばすぐに良くなるのだが、生憎このときは薬を切らしていたのである。どうすることもできず途方くれていたオボロ達の所に、一人の老婆が近づいてきた。
「お前たち、こんなところで何をしておるのじゃ?」
「ん? 婆さん、どこから現れた。いや、今はそんなことはどうでもいい。婆さん、この近くに薬師はいないか? 薬でもいい! ユズハが! この娘が大変なんだ!」
「何? どれ、見せてみるがええ。ふむ… これは… 日差しにやられたようじゃな。それに、体力も相当落ちておる。ほれ、これを飲ませてしばらく様子を見るんじゃ」
老婆は懐から薬袋を取り出すと、中から薬草を潰し、オボロに渡す。薬を受け取ったオボロはそれをユズハに飲ませると、しばらくして、ユズハの呼吸が整ってきた。オボロが礼を言おうと振り向いた時、そこにはすでにあの老婆の姿は無かった。
彼はその後、この集落の近くの高台に移り住んだ。そしてなぜかユズハの体調が悪くなくと、決まってあの時と同じ場所に老婆が現れるのだ。何度かユズハを診てもらった時、初めて老婆が名前を告げた、トゥスクルと。
 
 
オボロはあの事件以来、二つのものを恨んでいた。
一つは、あの野盗たちを。ただむしろ、彼らの存在を生み出したこの国を恨んだ。皇は何をやっている! 何故あんな奴らを生み出し、のさばらせているんだ、と。
この時、ケナシコウルペは先代の皇が崩御し、皇太子であるインカラがその後を継いだ。皇はうるさい父親がいなくなったことをいいことに、先代の忠臣であった仕官達を次々と追い出し、集権化を成し遂げ、今は政務もせず自由気ままに贅沢な日々を過ごしている。そんなずさんな政治は国内を悪化させ、野には山賊・野盗が闊歩している。
もう一つは、あの野盗達に不覚を取った自分自身に、である。もしあの時不意打ちを喰らわず、すぐに切り伏せていれば。さらに言えば、もっと実力があったなら、駆けつけてからさしたる時間をかけずに殲滅し、父を救えたかもしれなかったのだ。
二つの怨嗟と後悔が、オボロを取り巻いている、そんな日々を送っていた。
そしてある時、オボロはとある噂を耳にした。
「この大陸の北方のウプソロクッ山に、カムイサンテクという神がおり、何でも好きな願いを叶えてくれる」
この噂を聞いたとき、オボロは『何を馬鹿なことを』と笑い飛ばした。しかし、日に日に強くなる二つの思いに、ついにオボロはカムイサンテクを目指すことを決めたのである。
オボロはこのことを―といっても全てではないが―トゥスクルに話し、ユズハのことを頼むと夜中になるのを待ってから出発した。見つからないように万全を期して、行く前にドリィ達が寝ているかどうか確かめてきている。しかし突然、目の前に二人が現れた。
「「若様。どこへ行かれるのですか?」」
「なっ、ドリィ、グラァ。お前たちには関係のないことだ! 屋敷に戻れ!」
オボロが帰るように二人に命じるが、二人は一向に動かなかった。
「「戻りません!」」
「これは、これは遊びではないんだぞ! 俺がどこに行こうとしているのかわかっているのか!」
「若様がどこへ行かれるのは僕たちにはわかりません。でも、僕たちは始めて御目にかかったあの時から、そしてこれからもずっと、若様をお守りすると誓いました。若様の行く先がどこであろうと、例えそこがディネボクシリであっても、僕たちはお供します」
二人は決して引かなかった。それは彼らの眼がそう語っている。オボロは今の今まで、二人がそこまで考えているとは思っていなかった。いつも自分が何か言えば、大抵のことは困った顔をしながらも自分の言うとおりになった。
しばし睨み合った三人だが、オボロが根負けしたのか、結局、二人を連れて行くことにしたのだった。
 
 
オボロたちは遂にウプソロクッ山にたどり着いた。そこは年中雪が降り、背の高い針葉樹がまるで入ろうとする者を拒む砦のように立っている。付近の集落の人々は足を踏み入れたら二度と出て来られないことから、畏怖をこめて「ディネボクシリに続く山」と呼んでいる。おまけに、北方の地域に生息するに肉食の獣「ウバスオオカミ」が好んで生息していることも問題の一つだ。
「確かに薄気味悪い場所だな。だが、ここまできて引き返すわけにもいかん。いくぞ、ドリィ! グラァ!」
「「はい、若様!」」
三人は慣れない雪を掻き分けて進んでいく。そして、突如どす黒い殺気の塊をぶつけられる。
ウバスオオカミだ。
一匹が前方から突進してきたが、オボロが手にした刀で切り伏せる。だがこれで終わりではなかった。彼らは基本的に群れで狩りをする。対象に集団で襲い掛かり、その鋭い爪と牙で肉を喰らうのだ。今度はオボロの右後ろにいるドリィに二匹のウバスオオカミが襲い掛かる。一匹は接近される前にドリィが矢で射殺すが、次射に移る間に隙ができる。あわやその鋭い牙が喉元に吸い込まれると思われた瞬間、ドリィは背中から雪に倒れ、ウバスオオカミの腹を下から蹴りつけた。そして体勢の崩れた目標をグラァが始末する。
二人が息のあったコンビネーションをしていると、オボロの元に十匹のウバスオオカミが突進した。二人一組でいるドリィ達から攻撃目標をオボロに移したのである。オボロも初めのうちは着々と迎撃していたのだが、次第に押されつつあった。身体のあちこちに裂傷ができ、辺りを朱色に染めていく。ドリィ達の援護も、素早く移動する彼らの前にはあまり意味がない。
「うわあぁぁぁ!」
「グラァっ!?」
オボロに気を取られすぎていたことが災いした。一匹のウバスオオカミが後方からグラァの肩に噛み付いたのだ。咄嗟に首を捻り、喉は守ったが、重傷には違いない。
「グラァ! くっそぉぉぉっ!! 貴様らーーっ!」
オボロが憤怒の表情で群れに突っ込んだ。が、怒りに駆られた太刀筋は肩の筋肉を異常に緊張させ、太刀筋が鈍る。そして空振ったところを逆に襲われてしまう。
(またか!俺はこんな獣たちにさえ勝てないのか! なぜ俺の剣は当たらない。なぜ奴らの爪は俺の身体を捕らえられる? 俺は、俺はこんなところで死ぬわけにはいかないんだ! 力が、力が欲しい!)
オボロがそう強く願った瞬間、突如雷鳴が響いた。空は暗雲に包まれ先程まで降っていた雪もいつの間にか止んでいる。その場にいる全員が一瞬硬直する。するとどうだろう。先程までオボロたちを襲っていたウバスオオカミ達が森の中に引き返して行ったのだ。
「力を欲するものよ。汝、如何なる物を求めん」
いきなり、オボロはそう尋ねられた。しかもその声は若い女の声であった。何が起こったのかわからず、辺りを確認するが、どこにも女の姿はない。
「今一度尋ねん。汝、如何なる物を求めん」
再び声が聞こえたとき、オボロの目の前に一人の美女が現れた。
ただその姿は普通とは言いにくい。何故なら、彼女は空中に浮いているのだ。
意を決して問うてみる。
「お前がカムイサンテクか?」
「おまえとな? 我に対してずいぶんと無礼な奴よの。まあ良い。我が名はカムイサンテク。この世界を統治する神の一人よ」
「神…だと? っということはウィツァルネミテア様と…」
「ふむ、まぁそういうことになるな。まぁそんなことはよい。して、無礼なる者よ、そなたの望みとはなんぞや?」
「し、失礼いたしました! は! 俺の望み、それは刀です。この世で最も強い刀を頂きたい!」
「ほぉ… 最も強い刀…と申すか。ふむ、いいだろう。ではそなたに授けよう。『最も強い刀』をな」
カムイサンテクがそう言うと、虚空から二振りの刀がゆっくりと現れた。オボロの目の前で静止する。
刀はどちらも素晴らしかった。左側の刀は刀身がほのかに朱く、刃紋は柔らかく丸みがある。右のそれは刀身がこれまたほのかに蒼く、しかし刃紋が棘のような鋭さを持っている。
ただ、これが本当に最強の刀なのか、という疑念がオボロにはあった。確かに素晴らしい刀ではあるが、最強かどうかはわからない。
「『本当にこれが最も強い刀なのか』というところか? お主の疑念は?」
「な、なぜ? いえ、そんなことは」
さすがに考えを読まれるとまでは思っていなかったオボロは、すかさず否定する。しかし見え透いた誤魔化しであることをカムイサンテクは判っていたが、あえて追求はしない。
「お主の疑念はもっともよ。なぜなら、このままではこの刀はただの名刀にすぎぬ。この刀の本当の力を引き出すことができたのなら、最も強い刀になるのだ」
「本当の力? そ、それは一体どうすればいいのですか?」
「ほほ、そんなに慌てるでない。なに、簡単なことよ」
そう言うと、彼女は怪しく微笑みながら右手を前に出した。すると、今まで黙って二人のやり取りを見ていたドリィとグラァが突然宙に浮き、彼女の前に連れてこられた。オボロが困惑して問う。
「何をなさるのですか!? 二人を…」
「なに、簡単なことよ。今からその二振りの刀で同時にこの双子の心の臓を貫くのじゃ」
「「!!!」」
「何だと? 何を言っている! いくらあんたが神とは言えそんなことが出来るか!」
彼女のあまりの条件に、オボロが激昂して答える。それはそうだろう、何年間も寝食を共にし、血縁はないが、いや、それ以上につながりの深い三人に対しての条件としては、あまりにもつらい。
「ほぉ、ほんとう良いのか? 汝は力を求めているのだろう。それにもしこの刀があれば、そうじゃな、この大陸を手にすることもできるやもしれぬぞ?」
「ふざけるな! 俺はそんなものには興味はない!」
「ユズハの病を治すことができてもか?」
「なに!? どういうことだ!」
ユズハの名前が出てきたことには驚いた。そして、ユズハの病気が良くなるというのはオボロには聞き捨てることはできなかった。
カムイサンテクはさらに微笑んで続ける。
「考えてもみよ。もしお主がこの大陸を手にいれば、すなわちお前が皇になろう? そうなれば国中の薬師を集めることも可能じゃろうし、薬には事欠かぬ。どうじゃ? 悪い話ではあるまいて」
先程までは、オボロも馬鹿げた条件だと思っていた。しかし、目の前にユズハのことを突きつけられると彼の困惑はひとしおである。
ユズハ。
彼女はオボロのたった一人の血の繋がった兄妹である。たしかにドリィ・グラァとも並みの兄弟のそれ以上の関係であるが、ユズハだけは別格である。彼女は生まれたころから身体が弱かった。幼い頃には目から光が失われている。共に野山を駆け回ることも出来ず、だがそれゆえに、オボロはユズハにとって、最高の兄たろうとしてきた。ユズハのために強くなり、ユズハのためにさまざまな危険を冒してきた。そして彼は今、生まれて初めて最愛の妹の存在を疎んだ。彼にとってユズハは最大の生きる目的であり。同時に最大の弱点であったのだ。
「他の、他の条件はないのか?」
「ほほ、そんなものありはせぬ。さぁ、どうするのだ。のぉ、オボロよ?」
「頼む! この通りだ! だから他『『その必要はありません』』の、何!?」
「若様、もういいのです」
「ドリィの言うとおりです、若様」
「何だと? 二人とも正気か! こんな条件、呑めるわけないだろ!」
オボロが必死に何か別の条件を求めようとしたとき、二人が同時に言った。その瞳は迷いのない真っ直ぐなものであった。とても十と六の子供が持つものではない。
「若様、今日この日まで、本当にありがとうございました。捨て子だった僕たちと、御館様と若様はまるで自分の家族のように接してくれました。侍従としてこれほど嬉しいことはございません。若様、どうかお願いします。僕たちのたった一度だけの我侭をお聞きください」と、ドリィ。
「若様、ユズハ様をお救い下さい。若様程ではありませんが、僕たちもユズハ様と一緒にいて、あの御方の、そして若様の御辛い様子を拝見してきました。どうか、どうか若様、ユズハ様を。それに、僕たちはずっと若様の御側で、貴方様をお守りするといいましたよね? 例えこの心臓が止まり、この身が朽ち果てようとも、その誓いはなくなりません」と、グラァ。
「僕もグラァと同じです。若様、さよならは言いませんよ。だって僕たちは、ずっと貴方とともにありますから」
そう言うと二人は、極上の笑みを浮かべ、そしてその双眸を閉じた。
「ドリィ… グラァ…」
たった一言そう言うと、オボロは目の前の刀を握る。いつの間にかカムイサンテクの笑みも消えている。
左手に朱刃の刀を。
右手に蒼刃の刀を。
生まれて始めてとる二刀流の構え。そして、初めて握る刀。それらははじめてのものであるのに、どこか昔懐かしいような、生まれつきこうあるべきであったかのような、そんな安心感がある。筋肉をほどよく緊張させ、腰をおとす。続いて大きく息を吸い、気を練る。
そして――――
力強く地面を蹴り、二人に、そしてその心臓に、今その双刃が吸い込まれ―――、
 なかった。
「カムイサンテク」
「なんじゃ?」
オボロはすっきりとした表情で、はっきりと言った。
「この刀は俺には必要のないものだ。ユズハは二人を殺して力を得た俺を軽蔑するだろうし、それに、そんなもので手に入れた薬など飲みはしない。偽りの幸せを得ても決して笑ってくれないだろう」
「本当にそうか? 皇になって幸せな毎日が遅れるのだぞ。それに、お主は強くなりたいのであろう?」
「ああそうだ。だが、それは俺が強くなったんじゃない。刀が強いんだ。そもそも俺は間違っていた。復讐に駆られ、現実から目を逸らし、大切なことを見逃していた。俺にとっての幸せは、ユズハとドリィとグラァの四人で、ただ一緒にいることだったんだ。力は、それは自分で鍛錬すればいい。二人がいるしな」
「「若様…」
オボロはそう言うと、刀をカムイサンテクの元に持っていった。刀は再び宙に浮き、代わりにドリィ達が地面に降りた。そしてドリィ達を抱きしめる。途端に二人は泣き出してしまった。
「そうか。それがお主の答えだというのだな、オボロ」
「そうだ」
カムイサンテクはしばらくオボロの顔を見つめた後、やがて微笑んだ。今度は先程までのような、嫌な感じではない。これが本来の笑みなのだろう。
「よく言った、オボロよ。そう、大切なのは現実から目を逸らさず、常に謙虚に物事を考えることだ。そして、今ある現状で最大限の努力をせよ。…ふふっ、久方ぶりに良き男に会った。我はうれしいぞ。どれ… すこし痛むやもしれぬが」
カムイサンテクが徐に刀を握った。そしてそのまま刃をドリィ・グラァのそれぞれの額に当てると、浅く切る。流れ出た血液がなぞるように刃紋に沿って流れていく。すると刃から突如光が発せられた。
「この朱刀の名はタシコロアツテカムイ。持ち主が危機に陥ったとき、必ずやその身を守ってくれることだろう。そして、こちらの蒼刀はカムイシンプイ。この刀は… そうよの、こちらは秘密じゃ」
カムイサンテクはそう言ってオボロに刀を渡すと、その身は霞のように薄くなっていく。
「待ってくれ! 本当にこの刀をもらっていいのか? それにカムイシンプイの力とは一体なんなんだ!」
そしてカムイサンテクは消える前に、最後に一つだけ言った。
「ふふ、その刀が本当の力を出すのはの、そうじゃのぉ… 人を殺めるときではない、それだけじゃ」
「な、それはどういう…」
そう言った瞬間、空が眩しく光り、再び雪が降り始めた。カムイサンテクの姿は、どこにもなかった。
 
 
 
 
 
「それで、俺はその時誓ったんだ。ユズハを、そしてドリィ達を守ると。俺にとってこの刀は誓いそのものなんだ」
「そうか… すまなかったな、オボロ。お前がそんな覚悟で刀を振っていたとは知らなかった」
「よしてくれよ兄者」
ハクオロがそう言って頭を下げると、オボロが慌てて表情をくずした。
「オボロ」
「ん、なんだよ兄者」
「ユズハ達をその刀とお前のその『心』で守ってやってくれ。ユズハ達は私にとっても、そして皆にとっても大切な存在だからな」
「ああ。もちろんだ、兄者!」
二人は固い握手を交し合った。
(きっと、お前が皆を守ろうと戦う時だけ、その刀は本当の力を貸してくれるのだろうな…)
「兄者、何か言ったか?」
「いや、何でもないさ…」
 
ハクオロが呟いたとき、オボロの持つカムイシンプイがキラリと光った気がした。
 
 
 
 
 
あとがき
 
はじめまして、セシリアと申します。以後お見知りおきを。
⑴この作品について
 
さて今回初めてうたわれSSに挑戦させていただきましたが、如何でしたでしょうか? 何分SSというもの自体が初めてなもので、それらしい書き方に苦労しました。といいましても、小説自体の経験も薄いのですが…
 
①一番困ったのが行間ですね。皆さんの作品を拝見したところ、行間をかなり広く取っておられる方が多かったので、どの程度にしてよいのやら。私の作品は読みにくいでしょうか?
②あとは改行でしょうか。やはりこういうSSでは、あまり一文を長くしすぎないほうがよろしいのでしょうか?
 
もし感想を頂けるのでしたら、上記の二点について触れていただけるとうれしいです。今後の作品に活かさせて頂きます。
 
※今回の作品にはアイヌ語がところどころに使用されています。以下がその意味です。
ウプソロクッ=魔神
カムイサンテク=竜神
ウバスオオカミ=造語です。「ウバス」が「氷の~」という意味で、「オオカミ」はそのまま狼です。
タシコロアツテカムイ=護神
カムイシンプイ=神の威力
 
⑵「うたわれるもの」について
 
こちらの方ではうたわれ自体についてお話させて頂きます。
いやー、良い作品ですね。私はアニメのほうを全て観て、漫画の方を買っただけのライトユーザーですがw 個人的にはオボロ・ドリィ・グラァ・カルラが好きです。ネットでSS探してるとオボロ達メインの話って少ないんですよねぇ。だから及ばずながら普及に協力していきたいと思ってます。カルラ姐さんはアニメでハマりました。かっこいいですわw ただ、SSでは大抵酒絡みのネタが多いので、それ以外の作品を書くことが「夢」ですね。
逆に私はユズハがそこまで好きではありません。嫌いではないんですよ?w あとはカミュかなぁ… ムツミの方が出て欲しい!
 
以上、長々と失礼致しました。ここまでお読みいただいてありがとうございました。