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 夜の帳が下りる。
 
 
 何だか色々あった一日だったけれど、無事に終わりを迎えようとしていた。
 
 
 クーヤの襲来に端を発して、あれよあれよと話が進展し、いつの間にか同盟関係が成立していた。とはいえ正式な文書や調印式を執り行った訳ではないのだが、お互いに皇が口約束とはいえ盟約を交わしているのならば、それが無くとも問題は無い。
 
 
 この同盟の目的は決して民への示威行為ではないのだ。厄災が訪れないならそれで良い。
 
 
 それにクーヤは一度交わした約束を破るような人間じゃない。
 
 
 そうした信頼関係が築けていることが、最も良いことで、今日一番の収穫はそれを確認できたことだった。
 
 
 当のクーヤ自身は、本人が語ったようにトゥスクルの生活が見たい、と言うとおりしばらく國にとどまる、とのことだ。一応空いている室を貸してみたが、仮にも一國の皇だ。正直禁裏内には客室よりも上等な室がある。
 
 
 そちらを進めてはみたのだが、クーヤは照れた様子で断った。
 
 
 
 「―――な、何を言うのだ、ハクオロっ、余はクンネカムンの皇だぞ!?い、いや、どうしてもと言うのならば……
 
 
 
 ……まぁ、よく分からないけれど、顔を真っ赤にして首を痛めてしまうのではないかというくらい横に振る様子をみては、無理にとは言えない。
 
 
 それにしては反応がおかしかった気がしないでもないが。一体どうしたのだろうか。私ただ、「私の禁裏に来ないか」と言っただけなのだが……。断りの言葉の続きで何か言っていたようだが、よく聞き取れなかった。
 
 
 兎に角。
 
 
 諸々の問題はあらかた解決したようだ。
 
 
 あとは私自身の問題。その解決手段は今のところ無いけれど、気長に待つしか私には出来ない。
 
 
 幸い、当面のハクオロ不在は私が親族として名乗り出ることで解決した。
 
 
 ……いや、問題のはずでそうそう簡単に物事が進むはずはない、そう思っていたのだが。世界は上手く回るものなのか、エルルゥが私が『ハクオロ』の親族であると認め、ベナウィがそう下に広めてしまえばすんなりと認められてしまった。
 
 
 
 「聖上と瓜二つなのですから、それが何よりの証拠となるのでしょう。ご家族と認知されている方がそれを保障すれば、正面から否定することは出来ないはずです」
 
 
 
 瓜二つというか、本人なのだが。いくら似てるとはいえ、皇の親族を語るのだからもっと追求があっても良いのではないか。
 
 
 國政を代行する、とまで言ってしまうのだから、そのくらいの疑いは持って当然だと思う。
 
 
 
 「皇の発言は、聖上が思っている以上に民への絶対的な影響を及ぼします。それに加えて、聖上は日ごろから民の信頼が厚い。その信頼する方が留守を任せる人物なのですから、正直に申せば聖上の親族か否かは些細な問題なのでしょう」
 
 
 「……それにしても、名前には無理があると思うのだが」
 
 
 「下手に変な名前を付けて失態を犯すよりはましだと思います」
 
 
 
 そう言われてしまえば返す言葉も無い。私の名前は『ハクオロ』。……一字一句変わらない。自分の子供二人に同じ名前をつける親がいるとは思えないが。
 
 
 とはいえ、それで通用しているという事実に変わりは無い。
 
 
 ベナウィに聞けば何故その名前が通るのか、など詳しく説明をしてくれそうだが、生憎今の私にそれを黙って聴いていられるほどの精神力は残っていないのだ。
 
 
 とりあえずは、私は今までどおり振舞っていれば何の問題も無いということには違いない。ひとまずそれで納得して、今日は早く体を休めたい。
 
 
 ベナウィも心労は気に掛けてくれるのか、普段より早めに政務を終わらせても何一つ文句をいう事は無かった。お小言の一つくらいは覚悟していたのだが。
 
 
 ……まさか、私が女性の体をしているから、という訳ではないだろうが。
 
 
 ベナウィは見た目通りの男だ。一度戦場に立てば鬼人のような強さを発揮するが、普段の生活では女性を労わるような傾向が強い。……その分、私などには容赦無いことが多いのだが。
 
 
 まぁ、それは私の思い込みも含んでいるのかもしれないな。同じ男でも、オボロなどとはやたら親しいし、よく目にかけている。
 
 
 結局の話そんなことはどうでもいいことに変わりない。結果的に私には珍しく休息の時間が与えられた訳だが―――。
 
 
 
 「……さて、何をしようか」
 
 
 
 日ごろ忙しいことが多い生活を送っていると何でも良いから休みが欲しいと思うものだが、いざこうして時間を得ると持て余してしまう。働いているほうがましだ、とは言わないが、こうなってしまうと困りものだ。
 
 
 誰かのところを訪れようか、とも思ったが、考えてみればこうして時間を得たのは私だけで、皆は普段どおり自分の生活を送っているのだ。そんなところを訪れることは邪魔になるのではないだろうか。
 
 
 そもそも、私がこんな体になっている以上、幾ら諸問題が解決したと言えども今までのように自由には行かないだろう。
 
 
 そんな身である以上、極力不確定要素が多く、他人に迷惑を掛けることは避けるべきだ。
 
 
 
 「だが、一体どうすればいいのか」
 
 
 
 普段と違う行動をとっているものはクーヤが居るが、他國の、それも強國の長であるクーヤだ。いくら遠慮は無用とはいえ、彼女にも自由な時間は与えられるべきだろう。
 
 
 彼女の訪國の目的を鑑みれば、私にかまう時間を割くことは有益ではないだろうし。それに案外骨休めとしての意味合いも大きな旅かもしれない。
 
 
 クーヤは幼い身でありながら、大の大人を相手に國を背負うという重圧を常に背負い込んでいるのだ。それは想像以上に困難なことに違いない。相応の休暇はあるべきで、その時間を私が奪うことは出来ない。
 
 
 仮に用事があれば、クーヤの方からサクヤを使いに出すだろう。
 
 
 ……そういえばクーヤがどれくらいの期間滞在するのか聞いていない。國を空けている以上それほど長期間ではないだろうが、一応聞いておこう。
 
 
 それ以前に、私は自分の時間の使い方を考えていたのではなかったのか?

 
 こうして思考に時間をとられていると、せっかくの有意義な時間が無駄になってしまう。……尤も、その有意義な使い方を模索している最中ではあるのだが。
 
 
 何かあるはずだ。私が普段出来ないこと。こんなときでなければ出来ないことは―――。
 
 
 
 「……そうだ」
 
 
 
 一つ、やってみたいことを思いついた。
 
 
 正確にはやってみたいことというよりは、やるべきことで、一人出なければ出来ないことだが。
 
 
 思い立ったならすぐに実行すべきだ。時間は限られていて、尚且つ時が過ぎるほどリスクは高くなっていくのだ。
 
 
 そうと決まれば私の行動は早かった。もともと持ち物は少ない。……というよりも持ち込むところではない。
 
 
 私は急ぎ足で部屋を出た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 木製の引き戸を開くと、蒸気が立ち上り私の顔を暖かく包み込む。
 
 
 恐る恐る周囲を見回し、そっと中に足を踏み入れた。
 
 
 そこは幸いにも無人。私はほっと胸をなでおろす。
 
 
 
 「こればかりは……今のうちに済ませておかないと、な」
 
 
 
 広い空間。そこは湯気が充満していて、それでいて清潔感に溢れていた。
 
 
 この浴場を訪れたのはこれが初めてだ。―――正確にいえば、こちら側に入ったのは、だが。
 
 
 普段私が利用しているのはここから壁一枚隔てた先にある浴場。つまり、男湯だ。
 
 
 ……そう。
 
 
 今、私の体は女なのだ。いくら中身が男といっても、男湯に堂々と入るのは間違っているような気がする。それになんというか、この体で男湯に浸かるのは、……何と言うか、誰にかはわからないが失礼な気がするのだ。
 
 
 選択肢は二つしかないのだから、結局私が入るのは女湯ということになる。
 
 
 なるのだが。
 
 
 だからと言って、女性陣が浸かっているのと同じ時間に入ればどういう結果になるのか。……正直、大体は許容されてしまうような気がするが、間違いなくエルルゥは怒るだろう。
 
 
 エルルゥの怒りを買うことは恐ろしいことで、だからと言って男湯に行っても怒りを買うに違いない。ならばこうして空いた時間、早めに湯浴みを済ませてしまえば誰にも文句を言われることは無いだろう。
 
 
 早めに湯浴みを済ませて、早めに寝るのが一番良いことに違いない。
 
 
 ちょうど精神的にも限界が近づいているきがする。ここらでたっぷりと休息をとるのが一番有意義な時間の使い方というものだろう。
 
 
 木桶で湯をすくい、体を流す。全身を満遍なく流したところで、風呂の枠に手をかけた。
 
 
 ……一応言っておくが、私は体に大きな布を巻きつけている。このまま湯に入ることは失礼だが、なんだかそれを解くのも気恥ずかしい。自分の体とはいっても、それは普段のものとは別、正反対なのだから。
 
 
 ごめんなさい、と心のなかで断りを入れてから足をそっと湯に着ける。
 
 
 ゆっくりと両足から浸っていき、体を沈める。
 
 
 肩まで浸かって、私の口から感嘆の息が漏れた。外はまだ明るい。この広い浴槽を一番風呂で独占しているという優越感と、身も心も洗われるように全身を包み込む暖かさ。
 
 
 湯浴みとはこれほど良いものだっただろうか。女性は風呂を好むというが、もしかしたら感じるものが男とは違うのかもしれない。
 
 
 間違いないのは、今私は幸せの境地にいるという事だけ。
 
 
 まさに、至福の時。せっかくの広い大浴場なのだ。兵なども利用し、常にある程度の需要がある男湯ではできないことをやってみたい気になった。
 
 
 ゆっくりと全身の力を抜く。息を吐くにと同時に体が弛緩し、次第に私の体は水面に浮かぶ。
 
 
 まるで湖面にたゆたう一枚の葉のように、流れのない湯に浮かぶ。全身を包むような暖かさに目を閉じる。
 
 
 静かな室内には、浴槽から溢れた湯が流れる音しかしない。外では兵達が訓練を行っているが、その喧騒も届かない。
 
 
 
 「これは、なんとも気持ち良い―――」
 
 
 
 疲れなんて今にも吹き飛んでいきそうだ。完全に脱力して浮かぶその感覚は、自由に空を飛ぶ鳥のように思えた。もし空を飛び回ることが出来たのなら、このような感じなのだろうか。
 
 
 瞳を閉じてしまえば天も地も分からないほど。
 
 
 その快感に、遠くから届く雑音さえも気に止まらない。
 
 
 再び感嘆の息を漏らそうとして、端と動きを止める。何か、違和感を感じたような気がしたのだが……。
 
 
 現世に引き戻される中、次第に冷静さを取り戻し始めた頭で違和感の正体を模索する。
 
 
 自分の行動に、又は身の回りの物事にその正体が隠れては居ないだろうか。
 
 
 何か、何かがあるはずだ。違和感を覚えさせるものは一体何なのか。
 
 
 答えは考えるまでも無くはじき出された。単純な話だ。夢見心地の自分の意識を引き戻したものは一体何だったのか。
 
 
 瞬間的に背後を振り返る。
 
 
 一枚の木戸を挟んでいるが、確かにその向こうに何物かの気配を感じる。
 
 
 違和感の正体は雑音だ。
 
 
 自分でも言っていたはずだ。『外の喧騒が届かない』と。男湯とは異なり、基本的に女性が入るという事を考慮されている為か、女湯はしっかりとした造りで鼠一匹入り込む隙間がなく造られている。
 
 
 当然窓を設けて外界とのつながりはあるが、この場所の裏手はすぐ塀が立ち、又鍛錬所とも正反対の場所にあるため、基本的に余計な音は入ってこない。
 
 
 つまり、それ以外に外界と接している場所なんて一箇所しかなかった。
 
 
 それは入り口。
 
 
 女湯の入り口からここに入ってくる人間は、一体何の目的で入ってくるのか。
 
 
 当然、湯浴みを済ませる為だ。無論、女性が。
 
 
 
 「……と、お、落ち着いている場合じゃないぞ!」
 
 
 
 そんな誰に聞かせるでもない思考を廻らせて結論にたどり着いた。
 
 
 考えるまでもなく、誰かがこの場所を利用しようとしているのだ。のんびりと湯に浸かっていては、私がここに居ることがばれてしまう。
 
 
 ……確か私は今でこそ女性の体だが、精神的に男である以上この状況は危険だ。危険の対象は言うまでも無く私自身。
 
 
 仮に今は女性だから、と言ってみよう。勿論これは正論だが、そんな発言が聞き入れられる可能性は極めて低いのではないだろうか。
 
 
 言い訳だと断言されて覗き扱いされることは目に見えている。
 
 
 まず、男性陣からの白い目が予想できる。……クロウ辺りは逆に讃えてくれるかもしれないが。ただ、その程度の被害ならば十分耐えられる範疇に収まっている。
 
 
 問題は女性陣の反応だ。
 
 
 簡単に考えてみよう。
 
 
 私と対峙したときに私が勝てる確率はどのくらいあるのだろうか。……考えるまでもなく零ではないか。
 
 
 この場だけならば大半の場合切り抜けられることは間違いない。問題はそのことがエルルゥの耳に入る可能性だ。そんな可能性は無い。
 
 
 エルルゥに知れたが最後、私はディネボクシリを見ることになる。今日中に意識を取り戻すことが出来れば運が良い。
 
 
 ついで食事の問題がある。仮に食卓に着いたとして、私の席に食事が容易されていることは無いだろう。それがどれだけ続くのか―――。兵糧攻めほど実効性のある作戦はそうは無い。人は糧なくして生きていくことは出来ないのだから。
 
 
 更に、エルルゥの協力が無いことには私が元の体に戻ることなんて不可能だ。政務の間に私につかの間の休息をもたらしてくれるのはエルルゥの気配りである。
 
 
 そんなことを考えてみれば、最悪私は一生このままの姿で過ごすことにもなりかねないし、憩いの時間を針の上に座らされて過ごしていくことになるだろう。
 
 
 ……間違いなく、死んでしまう。
 
 
 私は慌てて周囲を見回すが、ここは浴場。姿を隠すことが出来る場所なんて存在しない。
 
 
 必死で隠れ場所を探す一方で、頭の片隅に最悪の事態が過ぎり、次第に意識が真っ白になっていく。
 
 
 
 
 ―――木戸が引きあけられたのは、次の瞬間だった。
 
 
 
 
 私に出来るのは、ウィツァルネミテアに祈りを捧げることばかりだ。
 
 
 ああ、御神よ。我を守りたまえ……。