/ 1
周囲の視線が痛い。
電車は思った以上に空いていた。
普段は自宅の界隈しか出歩かないため、電車に乗る機会が少ない。
だから電車はいつも込んでいるものだ、と勝手に想像していたのだが、そんなものは所詮想像に過ぎず、何一つとして特別な出来事は起こらない。
―――いや。
もしかしなくても、今の状況は普通では味わえないような貴重な瞬間ではないだろうか。
向かいに座る会社員が。ドア付近に立つおばさんが。挙句の果てには隣車両から子供が、皆一様に好奇の視線を向けている。
俺―――厳密にはその隣だが―――は今この瞬間以上に注目を浴びたことは無いかもしれない。
いらぬ緊張の為、意味も分からぬ汗が背中を伝う。
そっと、視線を横にずらす。
そこで、全ての元凶―――両義式は手すりに肘を掛け、外の流れる風景を見やっていた。
最も彼女の瞳が、子供のようにさまようことは無い。
ただすることも無いから外を見ている、それだけのことだろう。
だが。
今この瞬間、式以外の皆は普段見慣れぬその姿に目を奪われていた。
その原因は式が着ている服装だ。
すでに幼い頃から見慣れた紬姿だが、他の乗客にとってそれは非日常的な姿なのだろう。
さらに、式の中性的な相貌と相俟って、今のこの状況が形成されている。
式はそこに居るだけで瞳を惹かれる少女だ。
それが着物を着ているということと合わさり、注視されることにより生み出された居心地の悪い空気の元凶となっている。
式だけがそんな周囲に無関心で、その双眸は流れるコンクリートの景観を流していた。
「なあ、式」
あまりの息苦しさに、話しかけずには居られなかった。
とはいえ話すべき話題も無い。
「―――何だ」
目を向けることなく返される。
ええと、としばらく考え、
「式は今回の事件について、どう思う?」
と、何とも詰まらないことしか浮かばない。
「どうって―――何がさ」
「だから……吸血鬼って奴さ。死徒って言っても元は人間だろ?」
―――吸血鬼は大きく二種類に分けられる。
橙子さんの言葉が脳裏に蘇る。
『真祖と死徒、って言うのがその区分だ。真祖は謂わば純粋な吸血種だな。初めから吸血鬼としてあった存在。彼等は別に血を吸わなければ生きていけない訳じゃない』
『え―――血を吸うから吸血鬼なんですよね? それっておかしくないですか』
『別に血を吸わない訳じゃないよ。そうだな、彼等にとって血は麻薬みたいなものだ。一度味を知ってしまえば依存してしまう程強力な、な。』
まあ、真祖は今あと一人しか残っていないから別にいいが、と加える。
『問題なのは死徒だよ。こっちが一般的な吸血鬼のイメージだ』
一般的な、とは日光に弱いとか流水が苦手、とかいうあれだろうか。
『おそらく三咲町の犯人はこれだね。奴等は真祖に血を吸われた人間だよ。稀に例外もあるが―――具体的に真祖や死徒に噛まれることで新たな死徒が生まれる』
なんだか、昔そんな鬼ごっこがあった気がする。つかまった人が鬼になるあれだ。鬼の数が倍加して、最後の生き残りは悲惨な目にあう。
『それじゃあその死徒ってたくさん居るんですね』
『別に噛まれた人間が皆死徒に成る訳じゃない。殆どはそのまま死んでしまうのさ。一部が生ける屍になり、その一握りが新たな死徒になる』
―――まあ、それ以外にもたっぷりと講義されたが、要するに死徒といえど元は人間なのだ。
元が人ならば、犯人だって意識はあるだろう。人殺しを続けるその存在に、罪の意識が芽生えるかは知らないけれど。
式は端正な眉を顰める。
「……ソイツは自分の食欲を満たすために人を襲うんだろ。家畜を殺すことに躊躇うはずが無い」
それでも、と思う。
いくらそうだとしても、やはり家畜と人間は別物だと思う。
食用の牛は分からないが、人間ならば同じように何を考えているのかを言葉で伝えられるのだから。
相互に理解が働くということは、つまり相手は同等の存在だということだ。
「だからソイツは外れてるんだ」
「外れている、って……」
「常識って奴からさ。人間からしたら当然のことが、ソイツにとってのそれと違うってだけだろ」
そう言われては仕方が無い。
端から常識に捕らわれていないんじゃ、道徳なんて路傍の石だ。
口を閉ざそうとも思ったが、ついでにもう一つ疑問に思ったことを尋ねる。
「―――でもさ、式。何でこの仕事を引き受けたんだ? 式だったら面倒な事は断ると思ってたんだけど」
幹也さんが心配だ、というのは動機のかなりの部分を占めるに違いない。
口には出さないけど、あの事件以来式は幹也さんに執着している。
幹也さんには悪いけれど―――自分の物を取られまいとするかのように。
ただ、今回はまた別な意図もあるように思えた。
その証拠に、今日の式は時折とても愉快そうに笑みを浮かべる。
そう、それは新しいおもちゃを手にした子供のような。
「ああ―――だっておもしろいじゃないか。オレと同じ外れ者と戦えるんだからさ。殺し合いするのにこれ以上の相手はないぜ」
周りに聞かれたら大変な位物騒な言葉が飛び出た。
「……あのさ、式。今回の目的って幹也さんの護衛だろ? 調査の続行なんだから」
「関係ないね。橙子は飛び火が嫌で調査させてるんだろ。だったら、調査だろうが元凶を絶とうが同じことだろ」
乱暴な発言に、思わず頭を抱えたくなる。
式が日本刀片手に暴れまわる姿が容易に想像できた。
「……まあ、それは良いとして。犯人が見つからないと戦えないだろ。幹也さんだって調査中なんだし」
本当は良くないが―――むしろいけない―――、式を殺す、という単語から引き離しにかかった。
何とかして今戦いをすることが無理だと理解させ、しかる後に話題を方向転換しようと思う。
だが。
式は俺の考えをいきなり破壊した。
「そんなの問題じゃないね。奴はオレと同類なんだからさ。―――きっと、会った瞬間に殺しあう」
……また、殺すという単語を発する。
藤乃ちゃんの時も、似たようなことを言っていた気がするけれど。
思わずため息が漏れた。
「それじゃあ、まるで殺人鬼だよ」
だが、その言葉を真顔で返される。
「何言ってるんだ。―――そんなの、本質的には七夜のほうが近いだろ」
今度こそ、俺は口を閉ざす。
車窓を流れる景色は次第に人工物の姿を増やす。
三咲町は、もうすぐだ。